筑波大学附属大塚特別支援学校による学校支援

105日、文京区立柳町小学校につづき、筑波大学附属特別支援学校を視察させていただきました。

国立大学として附属学校をもち、教育実習と教育研修におけるリーダーシップをとってきた筑波大学。その附属校の1校である大塚特別支援学校には、地域の学校を支援する支援部があります。その支援部のコーディネーターの安部(あんべ)博志先生にお話を伺うことができました。

今や、10%といわれるボーダーラインの子ども、虐待などの不適切な養育を受けている子どもを含めると5人に1人は支援を必要とする子どもです。安部先生は、通常学級の学級担任を経て、特別支援学級の担任、その後現在の特別支援学校での支援部においてコーディネーターとして8年、3000以上の学級を見てこられました。先に紹介した柳町小学校にも当初からかかわり、秋山明美校長とともに試行錯誤を重ねてこられました。

安部先生のこれまでの支援の中から、特別支援教育の目指す方向性について柳町小学校での具体的な取り組みとともにお聞きしました。

①いかなる支援も、子どもの自尊感情を高める視点で取り組まないと十分とは言えない。そのためには、わかり、できるようになる成功体験へ導くこと。障がいを治すことは不可能でも、前向きに生きていくことは可能。

②子どもは、仲間といっしょの授業によって救われたいと願っている。支援員や専門家に丸投げすることを子どもは望んでいない。自ら支援策を工夫し、改善しようとすべきである。:いつも近くで教師が援助していると、依存し、自立できなくなる。子ども同士が関わり合いの中から学ぶせっかくのチャンスを奪ってしまうことにもなるため、柳町小学校では、必要最低限の援助を心掛けている。

③支援が必要な子どもが適応しているクラスは、リラックスした雰囲気があり、何を狙った授業なのか教室に入った瞬間すぐわかる。教師の叱責が少なく、子どもたちが互いの発言をよく聞いている。子ども同士が学び合う授業がされ、互いの多様性と「よさ」を認め合っている。個別の支援を考える前に、このような学級づくり、授業づくりを考えるべきである。:学び合えることは、その子の居場所がそこにあることを意味する。体育の授業でも、教師が指導しなくても、通常学級の子どもたちが特別支援学級のこどもも参加できる柳町小ルールを考え、協働学習をしている。

④学校をあげて日々の授業改善に取り組む覚悟があるなら、「教育研究指定校」などという形だけの研究を引き受けることはやめて、目の前の子どもたちの課題を研究テーマに据えるべき。ふだんの授業が改善されなければ研究成果を子どもに還元したことにはならない。また、研究から得られた知見や教材教具は、その教師のみでなく、学校の財産として蓄積されなければならない。従来の学校研究を続けてきて、学校はよくなったのだろうか?ファシリテーションにもとづく、新たな研究で教師がチームとして協働で課題解決にあたる力、特別支援教育に本当に求められているのは、この「学校力」である。:大塚特別支援学校で行ってきた普段の授業を全学級でビデオに撮り、これを全教員でみながら改善点を話し合う。ただし、付箋紙に書いて貼り付け、批判はしない、事実からのみものをいう、よかった点・参考になった点を伝える、必ず1回は発言するというルールを作って実施する。これは現在、柳町小学校でも取り入れられている。この取り組みは、それぞれの教師の学級経営や、授業の改善点が浮き彫りになり、子どもをとらえる観点が広がり、児童理解が深まり、支援を要するこの対応について共通理解を図ることができる。さらに、ベテラン教師が職人技を披露し、若手が触発される。職場の支え合いの関係性が育まれ、やる気がわいてくる。結果として、協働して課題解決にあたる力につながる。

⑤学級運営や授業を工夫し改善することで、支援を必要とする子どもの8割は救える。残りの2割は特別支援教室や専門家、福祉などと連携した支援をおこなえばよい。

⑥ケース検討はほどほどに、日々の授業の改善をまずはすべきである。

⑦教師が求めているのは特定の子どもの個別の支援策ではなく、学級集団の授業の中でどのように対処すべきかの具体的な手法、つまり授業の専門性である。:体育の授業でもボードを使い、視覚化することにより、必要な時に自分で内容を確認することができる。これは、すべての子どもにとって達成感のある授業となる。

5人に1人が支援を必要としている今、「特別な」支援教育ではない。支援が必要な子どもに配慮した授業や学級運営は、すべての子どもにとって居心地がよいものとなる。いいかえれば、特別支援教育の推進は学校の教育の質を高めることになる。:柳町小学校の具体的取組として、入れ方が乱雑になってしまい、友達のものを誤って持って帰ることが多かった傘立てをひとりずつの出席番号を付けた穴に差し込む方式にしたら、きちんとたたんで差し込むようになり、誤って持って帰ることもなくなった。

 

インクルーシブ教育とは、障がいのある子をただ単に通常学級に入れることでは、決してない。それは、教育の放棄を意味する。通常学級と特別支援学級の担任との綿密な話し合いにより、双方にとって確かな学びを保障するための手立てを講じることが必要である。

すでに、幼稚園や保育園では、どこへいっても障がいのある子が一緒に生活している。むしろ、それまで一緒に生活していた子どもたちが、小学校入学と同時に全く別々の生活になることの方が不自然なのである。

 

これまでの日本は、「異質なものを排除してきた社会」といえる。多数派が中心であり、合理性や効率性ばかり重視されてきた。これからは、「異質なものをも受け入れる懐の深い社会」を実現することをめざすべきである。

 

教師が子どもと向き合うということはこういうことだと、これまで自身の中で漠然としていたものが明確化されたとともに、安部先生のひとつひとつの言葉に感激し、感涙もした貴重な視察となりました。