フクシマを忘れない

モニタリングポストの前で生活者ネットワークの仲間たちと

福島県田村市。静かな田舎の風景。被災地という面影は全くない平穏な街並み。

クッキーの製造販売などの日中活動をおこなう知的障害者施設に併設された「たむら市民放射能測定所」。施設内には喫茶コーナーもあり、地域の「居場所」にもなっている。

ここは福島原発から約25キロと、事故当初は原発による直接的な被災地というよりも、避難地という位置づけだった。そうはいっても、事故から2年経った今も、最寄駅に設置されたモニタリングポストの数値は0.17μsv/hと、かなり高い値だ。

 

避難して健康をとるか、住み続けて生活をとるかの選択を迫られる

昔ながらの地域の付き合いが色濃く残り、自分たちの親戚の中には必ず原発で仕事をしていた人がいるような土地柄であるからこそ、小さい子どもを抱えた夫婦が避難することも簡単にはいかない。「消えた」といわれる、夜逃げのようにでていく人々。避難することはこの土地を捨てること、二度と帰ってくることはできないかもしれない不安や覚悟をしての選択。一方で、将来子どもへの影響があったらどうしようと不安を抱えながら、ここに住み続けることを選択せざるを得ない親。子どもにおじいちゃん、おばあちゃんが作り喜んで食べていた野菜も、事故の後はできれば食べさせたくない。みな、さまざまな葛藤や苦悩を抱えての生活が続いている。放射能関連についての話題はタブー。自主避難者は非難される。中学生以上になると子どもたちの社会が強いため、避難は困難。県民同士の対立、分断が起こっている。

 

そんな中、自分たちでできることはと立ち上がったのが、この放射能測定所だ。高校生から孫をもつ世代まで幅広い年齢層が活動している。食品等の測定、放射能に関する学習会の開催、放射能関連書籍の購入と学習、一時避難・保養の支援などを行っている。

 

2011年には市民の目からも明らかな、生物の生態以上が観察された。身近な生物(蝶・とんぼ・蟻・セミ・蛇・トカゲ・カエル・スズメ・セキレイ)の激減、植物の変化(けやきが紅葉せず、灰色に)。

また、福島県は放射能汚染では事故地も含まれていることから認知されているが、実は茨城県もかなり汚染状況が高いというデータがあり、心配される。

食品の汚染基準や、土壌の除染基準も事故前より緩くなり、今や家畜の飼料の方が厳しい基準であり、日本の除染基準は旧ソ連の基準では移住の目安である。

また、シアンバクテリアという苔が道路や校庭の隅に黒くたまり、測定すると10万㏃

という数値の場所もあった。

 

人権侵害を受けている福島県民

福島県民は事故前も事故後も、原発は安全、除染すれば住める、ただちに健康に影響はないと言い聞かせられてきた。経済活動を優先しモルモット化され、国だけでなく、県からも捨てられた「棄民」であるという共通認識をもっている。県立医大からの健康アンケートに応えて異常があっても治療につながらないこともさらにこの思いを強くしている。

甲状腺検査は、全国的にも専門医は少ないが、福島県民は県立医科大学でしか検査を受けられない。事故後2年経った今も検査は終わらない。

 

一億総被ばくとなるがれき拡散を絆と呼ぶ政策

全国各地へのがれきの移動により、低線量被ばくも全国に広がった。直ちに影響はないだろうが、少しずつ毎日積み重ねられる被ばくは、もはや当該地福島県だけの問題ではない。