「私は認知症をどう生きたいかー本人と家族に地域が寄り添う」~No!寝たきりデー2014~その1
認知症をテーマにすると、どうしてもケア者側から語られがちだ。本人のためにと言いながら、本当に本人が望むことなのだろうかと疑問を抱くこともないとは言えないのが現状だ。今年のテーマは、「自分ならどう生きたいのか、それを家族や地域がどう支えるか」。
それぞれの発表者から、貴重な提言があった。
精神科医 上野秀樹さん(海上寮療養所 精神科医)
精神科病棟の現状
ご自分でも矛盾していると話してらしたが、精神病棟に勤務しながら、精神病床を減らす活動をしている。現在は敦賀温泉病院でほとんど入院させることなく、訪問診療により地域で暮らす認知症の方を支えている。
国内の精神科病床は35万床で、全国177万床の2割、世界的に見ても185万床の2割にあたる。異常な多さだ。昭和20年代には3万床だった精神科病床だが、各家庭の座敷牢のようなところに閉じ込めていた現実があり、医師・看護師の配置基準を通常の病床の1/3・2/3と緩くし、増加させる政策をとったためだ。民間病院が9割という状況になっている。認知症の入院期間は90日、OECD諸国の18日に比べ、異常な長さであり、生活の場となっている。こうした病床が過剰にあることが、社会の変革につながらない。
認知症って特別なこと?
誰もが高齢になればなる可能性があり、完全な予防や治療は存在しないのであるから、恐れずに「認知症になってもいきいきと生活できる場をつくればいい」と考え方を転換する必要がある。認知症は生活障害であり、例えば行きたい場所に行くことができないことは誰にでもあることなのに「徘徊」と呼ばれ、詐欺にひっかかることも誰にでもあることなのに、認知症が原因とされる。特殊なものでなく、暮らしにくさという点でつながっているということだ。
認知症になると、身体機能の低下による身体障害、認知機能障害である知的障害、行動・心理症状である精神障害が生じ、一人ひとりが障害を身近な問題として考えるきっかけになる。就学時に障害のある子どもたちは特別支援学校などに分離されてしまうことで、障害に対する理解が進まないのではないか。
障害のとらえ方
日本では障害を医療モデルでとらえ、障害者本人を治療やリハビリにより直そうとするが、それは障害を「あってはならないもの」と考えているためで、結果として保護の対象となってしまう。
しかし、社会モデルでとらえると、世の中には多様な障害を持つ人がいるのに、そのことを考えずに形成されている社会システム自体が障害をつくりだしている。例えば、2階建ての建物に階段しかなければ車いすの人にとっては上下の移動が不可能だが、ロッククライミング用の壁しかなければ普通の人にとっても不可能だ。このように社会のあり方が変われば認知症の人も支障なく暮らせるはずだ。
認知症の人をどう支えるか
認知症とは病名ではなく、症状のことで、その症状を呈する原因となる病気は70種類くらいある。
本人を理解し、本人からのメッセージを読み取るケアと、活躍できる場・必要とされる場を提供し、お世話される存在にしないことが必要。医療は必要なときにつながることができるようにしておけばよい。家族がケアについて安心すると本人にも好影響であるため、医師の連絡先を教えておくとよい。