認知症の人を真ん中にDカフェ

清瀬市の認知症カフェ(市HPより)

アルツハイマー型認知症のお母様をケアする中、目黒区で1998年に認知症家族会たけのこを立ち上げたものの行き詰まりを感じ、「認知症への理解を広げる必要がある」と2012年に自宅を改築し開催したのを皮切りに、現在区内13箇所でDカフェを開催するNPO法人Dカフェまちづくりネットワーク代表理事竹内弘道さんの講演を紹介します。

◇Dカフェとは
・認知症を「見える化」する:実践的な認知症ケア学、家族と本人の出合い直し
・デイサービスではない:本人だけの参加でなく、決まった予定はなく、認知症の人に合った1対1の対応
・ケアラーズカフェではない:ケアラーだけでの参加ではない
・本人と家族を分けないケア:本人とケアラーにペアで参加してもらう
・カフェに来たら別行動:他の認知症家族の話を聴くことで認知症ケアが進展する、家族が隣にいないことで本人が話すことを遮らない⇒家族がいつもと違う本人の表情を見る
・市民が介護を知って自分で考える:自分の課題の整理や地域資源につながる・つなげる(介護休業制度/地域包括支援センター/ケアマネージャー/医療機関など)
・認知症の人を真ん中に多様な市民が集い、共生を語り合う、寺子屋カフェ
・Dementia(認知症)カフェ/Diversity(誰でも)カフェ/District(地域共生)カフェ/Democracy(自由・対等)カフェ/Dialogue(対話)カフェ

◇Dカフェの多拠点展開:市民発の地域包括ケア
・デイサービスの休日利用:その日だけのコミュニティができる、デイサービススタッフも誘い本人と家族のたたずまいを見てもらう
・総合病院での開催:地域の人への病院の見える化、医師や病院スタッフに認知症本人のことを知ってもらい、地域包括支援センターやケアマネージャーと顔の見える関係をつくる
・介護保険サービスの劣化+コロナ禍:認知症ケアへの逆行(イレギュラーへの対応が多い認知症ケアに向かない短時間サービスなど、マスクで表情が見えず本人が不安に)

◇認知症とは
・中核症状(認知症の本体):脳の老化、ゆっくり進行し改善しない
「記憶障がい」:物忘れ
「見当識(時・場所・人)」:今日が何月何日か/季節/どこにいるのか/身近な人がだれか
「視空間認識」:見えるが認識できる範囲は狭まる
目に見えない障がいが発生しているが、本人はことばでうまく言い表せない
⇒本人は「何かおかしい」と気づき不安を抱え「頭がばかになった」と言う人が多く、知られたくないので取り繕うが不安は増す、周りの人が気づくのに3~5年かかる
・行動・心理症状:蓄積された不安の心理が唐突に現れるが、ずっと続くことはない
無気力・無関心/怒りやすい/徘徊/幻覚・妄想(もの盗られ)
⇒認知症ケアがうまくいけば、これらの症状は出ないことも
食事・団らん:テレビや家族のいろいろな音、声、話が理解できない、何度もご飯まだ?
駅・空港:なぜここにいるのか、ここはどこか、人についてどこかにいってしまう、いろいろな音がすることでの混乱⇒大きく前に回って「こんにちは、何かお困りですか」と声をかける(できれば少し静かなところで)
入院:1対1の対応ができない、夜間せん妄(意識混濁)

◇認知症の人に世界はどう感じられているか
・脳科学の知見:人は過去の経験の記憶から世界を理解する
認知症の人は昨日今日の記憶(短期記憶)を失う⇒世界(現実)の感じ方が家族とズレる
・脳は意味のない“感覚データ”を間断なく受け取っている
光/電気/空気(気圧)⇒気分感情が波立つ 台風/夕暮れ時(落ち着かなくなる時間帯)
帰宅願望:3つ数えろ(間を取る)/オウム返し(自分の言ったことが聞こえた)/小さな満足(不安が少し解消)/場面転換(例えば、「心配だから一緒に出よう」と外出、「お土産を買おう」とコンビニなどに行くと「帰ろうか」にうなずくことも)

◇認知症ケアのキーワード:記憶は残らない、感情は残る
ミラーニューロン(鏡の様に目の前の人との行動の響き合い)
・何を語っているかよりなぜそれを語っているのか:記憶が混乱しているため、作話がある
・認知症の人を解釈してはならない
・幸せの種をみつけ、水やりをする、回想という種子
・人の生は関係性の中に成立している:出合い直しとは、関係性のネジレをリセットすること
・認知症は人生の最終章への適応:最後は穏やかになる、平穏死、在宅死

清瀬市でも認知症サポーター養成講座や認知症カフェ、オレンジハウスなど実施していますが、誰もが迎えうる認知症に対する理解をさらに多くの人に広げることが必要と考えます。