原発事故後のシティズン・サイエンス 草の根からの‘市民’と国や東電が構築する‘市民’

2013年視察にて

原発事故後の市民はどのように行動したのか 。先日視聴した、早稲田大学災害復興医療人類学研究所主催のシンポジウム「福島原発事故被災者 苦難と希望の人類学―分断と対立を乗り越えるためにー」から、 ハワイ大学教授木村あやさんの講演を紹介します。

○市民放射能測定所
一般の市民による、多くは2011年以降発足、主に食べ物を測定、測定器は寄付などによる

○設立の契機
五感で感知できない放射能の性質、拡散の状況も不均一のためきめ細かなデータへのニーズ
政府からの情報提供が不十分、政府の情報への信頼性の問題

○「風評被害」言説
科学的データに基づかない限り差別的と見做す、「風評被害」という概念は包括的な損害賠償などに有用だが言説の役割としては消費者への責任のすり替え

○食は女性の仕事という性別分業
女性の差別的イメージ:科学に弱い・感情的「放射能に不安を感じることは非科学的」
放射能への不安を経験しなければならないだけでなく、科学的裏付けをしなければならないという圧力、データへのニーズ

○測定所と避難者
・避難者支援ネットワークからの発足
放射能から逃げて避難してきたが汚染されているかもしれない食べ物が追いかけてくる
・県内避難者から食への不安
同時期に測定器を買える寄付があり購入に踏み切った
・避難していても食べ物は汚染されているかもしれないという不安、日本の食と農システムの脱ローカル化、栽培地の大型化・集中化、食品・農産物の全国流通の加速

○市民放射能測定所の意義
信頼できる専門家に相談、測定所相互での研修やチェック、データだけに収斂されない意義
市民間での知識のシェア、市民のニーズに合ったデータ取り(測定の下限値を下げる努力)
心配事や悩み事を分かち合う安全な場所、風評言説の影響、家族内・コミュニティ内でも困難
市民の変化するニーズに柔軟に対応(食品測定から始まったが土壌の測定、甲状腺検診・案内、保養の案内・コーディネート)

○市民性(シティズンシップ)
シティズンシップスタディーズ、市民性=人々の権利・義務関係、法的にだけでなく社会的に構築される、市民がするべきことすべきでないことは変化する
現代の市民性と新自由主義の影響、一見ポジティブに聞こえる個人の自立・市場原理・経済的成功、社会福祉・セーフティネットの縮小と表裏一体、個人が自分で安全・健康を確保することが「よい市民」とされる一方、国と企業の責任は減少

○避難者の市民性
復興大臣の自己責任発言、セーフティネットの縮小・廃止、避難の縮小と経済的復興への貢献
ふるさとの創造と再生=グローバル市場対応の経済成長優先

○市民放射能測定所の「市民」という立ち位置
国家と企業に対するものとしての「市民」、お目付役としての「市民」、原子力村の一部と見なされた専門家に対するものとしての「素人の市民」、分断(強制避難者vs区域外避難者、生産者vs消費者など)を乗り越える共通項としての「市民」
活動家ではない存在としての「市民」、60年代以降社会運動に対する否定的態度:過激・普通でないというイメージ、社会的統制として機能

○日本の市民社会の変化
社会運動への強い社会的統制、ネオリベラル:政治の忌避、私的問題化により社会運動は周縁化、新自由主義の影響、国家に対抗するのではなく協力する、運動型ではなくサービス提供型の市民団体へ、国と企業の役割の縮小を批判するのではなく縮小を補填する役割へ

○ネオリベラルな市民性に対抗する市民性:協働性、横のつながり、連帯、組織間でのつながり
モニタリングポスト撤去反対運動、データの個人責任化を否定、公的なデータ取りの必要性を主張、機能不全の隙間は埋めてもパブリックな責任の肩代わりはしない
人をつなげる測定所、全国に広がるネットワーク、みんなのデータサイト
政策的提言、政治的活動、訴訟などへの参加

○グローバルな原子力をめぐる言説への対抗:ネオリベラルな市民性に対抗する市民性
チェルノブイリと福島第一の健康影響は放射線ではなく精神的なもの、原子力は今後も安全なエネルギー源、原子力産業に都合の良い市民性への対抗は困難、しかし対抗する意義